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2022/04/26 13:17


1980年代は日本経済が成長し続けバブルの匂いが充満していた時代です。
明治時代の文明開化で和装から洋装へ移行し始め、民主化が一気に進み洋装が増えてきた大正デモクラシーは1920年代。
ファッションどころではなかった時期もありましたが、民衆が洋装に興味が沸いて表現としてのファッションを突き詰めていき、昇華していったのが1980年代だと思います。

既製服メーカーが増え大量に生産されるようになったことと、スタイリングの完成度だけを考えると、ヒッピーやニュートラ、パンクロックスタイルが全盛だった1970年代に大きなピークを向かえました(なぜなら、モードではこの時代のスタイルが今でもベースですし、トレンドが何度も繰り返されているからです)。
ファッション産業が成熟してきた1970年代をを経て、1980年代はデザインの時代に突入します。
1970年代までは、戦後アメリカの支配下で文化が育まれた影響もあってかアメリカ的なファッション(プレッピーやハマトラ)が人気であった中で、1980年に初めてDC(デザイナーキャラクター)ブームという日本独自のファッションが台頭しました。
三宅一生(イッセイミヤケ)、山本耀司(ワイズ)、川久保玲(コムデギャルソン)といった今の時代でも人気のあるブランドがこの頃最盛期でした。(1982年のパリコレクションが世界で通用する日本のファッションイメージに一新しました。)
当時の聖地はラフォーレ原宿や渋谷パルコでしたが、今はラフォーレ原宿がかろうじて匂いを残している最後の館です。

DCブランドはとにかくデザイン性が高いことが特徴で、良くも悪くも服がクドイです。
いくつもの素材を使い加工も多いので、パタンナーや生産管理も大変だと思います。
縫製工場も工程数がとっても縫い上げるまでに多くの時間がかかりますから、効率が悪く加工賃が高くなります。
それでも、時代はバブルだったのでお客さんは凝った服に高いお金を払いました。
メディアの強い影響もありましたが、審美眼のある著名人からも支持があったということはそれだけの価値を含んでいたのです。

DCブランドはパリやミラノのクリエイションに多大な影響を受けていたました。
ヨーロッパは洋服の歴史が長くオートクチュールの世界が存在しますから、腕のいい職人が残っています。日本は和装の世界ににいた職人を使うことで、品質の高い服を作ることができました。(ジャポニズムを推していたブランドもありました)
国内生産ですから日本の職人の腕を育てていく使命感もDCブランドにはあったのかもしれません。
DCブランドは「新しいクリエイションとは何なのか」という"着るものとしての服”だけではない新しい境地を見つけようと努力していたようにも思えます。

DCブームの後のバブルはボディコンとともに終わり、渋カジブーム→ギャルブーム→お兄系、SPA、裏原ストリート、セレクトショップ、ディオールオム、ファストファッション、シティ系、アウトドア&スポーツミックスなどなど、くるくる変化し続けているファッショントレンドですが、ずっと生き残っているのが「全身黒」です。

1980年代のDCブームの中、際立っていたカラス族。
オールブラックのスタイリングは今でこそ世間に馴染みますが、当時は斬新でした。
レイヤードと肌の露出が少ないころが、日本人の細い体形や薄めの顔つきに合っていることも息が長い理由です。
(衿の形を間違えなければ)クローゼットに何年も入れていても老けていかない服だというのもポイントです。

現代は完全にストリートのスポーツミックス(とユニクロ)がトレンドです。
このブームもいつかはカタチを変えていきますが、ドメスティックブラックスタイルはポップカルチャーにならなくてもずっと残っていくのだと思います。
そこでは日本の職人たちと一緒に時代を渡っていくことができます。
いいものづくりをして、いいお客さんと繋がっていくことができます。
1980年代の天才・秀才たちが並々ならない努力をしていたことはよくわかりますし、アパレル業界が逆風の現代においては困難なこともたくさんありますが、黒の世界が好きだという信念を持ってデコントラクティーを続けていきたいと思っています。


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