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2022/05/16 20:13



今回は哲学の話です。

なぜ人は服を着るのか、洗練されたいのか、表現したいのか・・・という疑問は服作りの中では常にあります。
今回はカントという有名な哲学者の考えに基づいて、ファッションの話をしようと思います。

皆さんは「おしゃれ」「かっこいい」「かわいい」と服や雑貨や、着ている人を認識し、言葉に発したり"いいね”を押したりします。
この「認識」という概念をカントは哲学を語る前提として掘り下げています。人間はこんな感じで認識するので、一緒に哲学ができるんだよっていう感じでしょうか。
カントが説いている認識の構造と、具体的にファッションの場面だとどういう雰囲気になるのかをお話しします。

①感性

「おしゃれ」「かっこいい」「かわいい」と感じるのは、まさに感性。感性を褒められると嬉しいですよね。認識は感性からスタートします。

カントは言います。
「私たちは感官を通じて対象を認識する。
 対象が心を触発することで、その対象は私たちに与えられる。その際に重要な働きを行うのが感性だ。
 感性は外部データを採取し、直感を私たちに与えてくる能力だ。
 感性を通じて、対象の色や形といったデータが、私たちに与えられる。
 感性がなければ、そもそも対象を近くすることも認識することもできない。」『純粋理性批判』

いいですね、心を触発という言葉。
カントの場合は、絵画や音楽の美しさを判断する感受性という概念より、外からの刺激を受け止める感覚という概念に近い考え方ではありましたが、どちらも直感的なものと考えれば広義では同じなのではないかと思います。
人には感性という不思議な能力が備わっており、私たちは毎日を感性を使いながら暮らしています。それは誰しも知っていることだと思います。
 
おしゃれな服を見た時に「おしゃれ」と個人の感性が認識します。こうやって服の情報を感性フィルターを通して受け取りました。
感性は人によってマチマチなので、「おしゃれ」と思わない人もいるかもしれません。
おしゃれだと思う人は、思わない人を「ダサイ感性だな」と考えたりしますし、「もっとおしゃれを解ればいいのに」と思ったりします。
或いは、自分はおしゃれだと思ったけど、世間では本当におしゃれなのだろうか、と不安になることもあります。
そもそも受け取った情報はとってもぼやっとしており、言語化しづらい感覚です。

そこで、カントは人の認識が構成される仕組みとして、感性を次の段階へ進めます。

②悟性

カントは言います。
「しかし感性だけでは対象を認識するには至らない。
 感性はまとまりのないデータをバラバラに取得するだけなので、それらをギュッと束ねて結合する必要があるからだ。
 その作業を行うのが、概念把握のための能力、すなわち悟性だ。」『純粋理性批判』

この「悟性」という言葉は聞きなれないので難しいのですが、簡単にいえばまとめる能力(理解力)ということです。
感性で得た認識を枠に入れていくイメージです。
ファッションもカテゴリーは割とわかりやすく分かれており、年代(80年代ファション等)、で分けたり、国(イタリアンクラシコ等)や文化(ヒッピー等)で分けたり、ジャンルに分けながら育んでいた歴史でもあります。
ですから、皆さんは「かわいい」と感性で感じた認識を、自分の中にあるカテゴリー(枠)の中にまとめて入れて、これはこのカテゴリーだからかわいいのだ、と理解するのです。
悟性はそれまでの見てきたものや読んできたものから形成される能力なので、ファッションに詳しい人ほど細かいカテゴリーに落とし込むことができるわけですね。

感性だけではよくわからなかったおしゃれ感も、悟性を使うことで、自分の中で納得できるよう落とし込むことができます。
例えば、好きな黒色で肩幅が広いから大きく見えてかっこいい、というところまで認識することで、なんでかっこいいと思ったのかが理解できるわけです。

しかし、なんとカントは悟性では不完全だと説いています。
なぜなら、悟性ですら自信の独自の能力だからです。確かに、まだ世間では本当におしゃれなのだろうか、と思う不安は拭えていません。
これをカントは単なる仮り姿(仮像)だと言っています。

③理性 

そして最後に出現するのが理性です。
カントは言います。
「理性とは、原理から出発して、完全なもの(全体的なもの)を見出そうとする認識能力のことを指す。」『純粋理性批判』

カントは理性を原理に基づいた普遍的に認識する能力のこととして規定しています。
そして、この理性があってやっと認識するのだと言っています。
感性・悟性だけでは仮の姿で、じゃあこの理性ってなんなのよ、ということですが、客観的な事象に当てはめるいうことです。

理性を使わなければ、善し悪しの判断が個人的な考えとなってしまい不完全だと言っています。ここがとっても哲学らしいポイントだと思います。
ファッションに当てはめれば「かわいい」と感じた対象を、感性と悟性で理解するのは個人的で曖昧な段階ですが、理性という今まで得てきた知を使って客観的な考えと組み合わせて、きちんと認識しようとするのが人間です。
推論を繰り返して、完全性を追求していくのが理性ですから、理性をもってして「かわいい」「おしゃれ」の理由を正しく認識することができるのです。

世間ではおしゃれとされていないデザインを意味を持たせて敢えて着る人がいるのも理性が働いています。
人は何も考えずに服を選んでいるのではなく、感性だけで選んでいるわけでもないのです。世間のこと、他人のこと、学んできた普遍的で客観的な知を終結させて、自らのファッションを決めているんですね。

すごいです。

④最後に(共通認識について)

ここまでがカントの認識構造についての説明ですが、実は私たちがこのような構造を共通して持っていることで、「共通認識に達することが可能」ということがカントの哲学の大きなポイントだったりします。
認識は共通の構造をしている他の人と「普遍的な認識」として捉えることができる、ということです。

これは経験的にも確かにそうで、自分が「かっこいい」と思ったものを他の人も共感してくれることがあり、その逆もあります。それはもしかしたら、「ちょっとだけかっこいい」や「けっこうかっこいい」だったりするので、同じレベルの「かっこいい」ではないかもしれませんが、人はそうやって共通認識の中でコミュニケーションを図っています。

だから、服のデザインをすることができるのだと思います。

当たり前ながらカントの哲学の目的はファッションどうこうではなく、「何が善いことなのかを認識し、理性を道徳的に使うこと」です。哲学者は人間の認識構造から、誰が読んでも納得できる善とは何かを説いていたんですね。

どうして自分は「かっこいいい」って感じるんだろう、という疑問が浮かびもっと掘り下げたい方は、哲学を、カントを掘り下げてみるのもいいかもしれません。


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