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2023/03/30 17:55




生み出したい気持ちを持ってる人は意外と多いのではないと感じたのは中学生の頃だった。
記憶力がないので勉強はできない、運動神経がないので体育や運動部も苦手だった僕は、頭の悪いオタクとして中学生活を送っていた。
現代のオタクより陰キャ度合いは高いが、友達がいて孤独ではなかった。
中学生くらいだとコミュニケーション能力がどうこう言われないので、自分の好きなものがあるという共通点があれば友達はできた。


オタクといえば(全員ではないだろうけど)自分で絵を描くのが好きだと思う。
好きなアニメや漫画のキャラクターを真似して描いて、オリジナルも描いて、誰かに見てもらったりして嬉しくなったりする。
たいして上手くもなってないのに、急に絵が上手くなったような感じを受けるのもこの頃だ。
描き方を変えてみた、と自分では思っているが、周りはそう思っていない(変わってないと思っている)ことが多い。
みんなそうなのだ。


僕はこの”自分は上手くなったと勘違いするエネルギー”が眩しいと思い返すことがある。
勝ち負けもないし賞もないから、評価は自分が下すので、勘違いすることができるのだ。


強い創作意欲は誰でも生まれ持っているものではないと思う。
ゼロからイチにできる人は(体感としてだけど)ほとんどいない。
中学の頃のオタクたちは、好きなものがあることを切っ掛けに、創作意欲が沸き、生み出したくてしょうがない状態にある。
承認欲求は強めだけど、それよりも自己満足が目的だから、資本主義や戦いとは違うエリアに身を置いているのだ。
中学の頃の創作意欲は本当に素晴らしいなと思う。


しかし、オタクたちは大人になるにつれて、飽きてしまったり、既視感が強くなって好きなものがわからなくなり、創作意欲がなくなり、資本主義社会で生き抜くための術を会得して、なんとか生きていくことになる。(稀に創作で食べていける人もいるが、本当に稀)
それは夢追いしなくなったフリーターが夢を諦めてサラリーマンになるようなことで、お金を稼がないと生きていけない資本主義社会では正しいとされているわけで、進学するということはそう仕向けられているということでもある。


従って、中学生の頃のエネルギーは失われ、創作意欲のない世界(消費社会)が広がっていく。
僕は中学生の頃の勘違いするエネルギーが好きで(全能感であるし、中二病でもあるが)、あの頃のエネルギーを失わないように生きているつもりだ。
それをキープするために常識を捨ててきたので、それが正しいのかと聞かれればそうではないかもしれない。


仮初の創作は、インタラクティブという言葉で誤魔化されている。
共感を得て消費するのは、創作ではなく享受だ。
中学生の頃のオタクたちはそれでいいのかな、もっと生み出したいのではなかろうか、と考えてしまう。
中学時代のように切っ掛けなのか、多大な新鮮さが必要なのか、パラサイトしていないと出てこないゆとりなのか、わからないが、生み出したい気持ちが昇華できる場所があるといいなと考えてしまう。

それは、コミュニケーションしてる場面ではないだろう。
自分ひとりで創作できる時間の創出は、現代ではとても難しいのかな。
アーティストの話を聞いたり、お金がなくても生み出し続ける人は、僕が考える勘違いするエネルギーを持ち続けたままの人だ。
一人でも多くそういう人が生きれる社会だといいなと思うし、諦めずに続けられる世界だといいなと思う。

decontractee deirector ito

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